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轟悠・華麗なる活躍。静かに幕引き人気は永遠に宝塚歌劇団に捧げた36年間

「トップオブトップ」と称された轟悠さん。惜しくも2021年10月1日をもって退団されました。

「静かに退団させて欲しい」。

大階段を降りず、サヨナラセレモニーもなく、清々しい幕引きとなりました。

もうあれから1年以上が経ちました。

最後の主演舞台となった「婆娑羅の玄孫(ばしゃらのやさご)」はファンの胸に深く刻みこまれたでしょう。

宝塚歌劇団で36年間、活躍し人気を博した轟悠さん。

退団後、俳優の道には進まないという。

今後のことは詳しく語らず、タカラジェンヌの背中を後輩たちに見せた姿は静寂だった。

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轟悠さんはどんな人?

宝塚歌劇団を受験したきっかけ

高校受験が落ち着いた頃、淡路島に住む親戚(日本舞踊の師範である大叔母)のもとをを訪れる。

そこで大地真央さんと黒木瞳さんに遭遇し宝塚歌劇団の受験を勧められた。

偶然というべきでしょうか?神様が用意した必然の出会いですね!。

轟悠さんは宝塚歌劇団に必要な人材だったのでしょう。

詳しくはこちらをご覧ください

轟悠 Yu Todoroki 宝塚入団のきっかけ(大地真央 黒木瞳) – YouTube

入団後の活躍

詳しくはこちらをご覧ください

轟悠の年齢・本名と同期は誰?人気と評判や伝説と声が低いのは若い頃からなのかチェック! | ヅカスキ! (relishtime.net)

平成以降、トップスターを経験者で専科になったのは轟悠さんただ一人。

輝かしいキャリアは、「宝塚の至宝」こと春日野八千代さん(2012年死去)の後を継ぐ形となり、多くを語らず淡々とやるべきことをやり続け、宝塚歌劇団を支えてきました。

轟悠さんの魅力・人気に迫る

キリっとした目、心に響く重厚な低い声、すっと伸びた高い鼻。

長年積み重ねてきた経験がオーラに、にじみ出ています。

決して楽な道のりではなかったでしょう。

数々の重圧やプレッシャーを跳ねのけ、舞台にかけるパワーは圧巻です。

若手と一緒に立っていても違和感なく舞台に溶け込んでいます。

しかし、轟悠さんにしか出せないオーラがあり、一つ一つの動作やセリフが役としてではなく轟悠さん自身から生み出ています。

要は、演じているのではなく、役と共に生きている感じ。

俳優人生をとことん追求した36年の活躍に迫る

2010年代に入ると名だたる選考会で名前が上がるようになります。

宝塚歌劇団を極め、男役の型を作り上げ、美学を追求し、に飛躍した証です。

賞賛の声が多く、揺るぎない地位を築き上げました。

「男役の体現者」。

タカラジェンヌの品格を確立し後輩に伝え続けました。

人気はあるのか?ヅカヲタの本音は?

専科から特別出演として毎年主演を務めていた轟悠さん。

ディナーショーも毎年複数回やっていた程、その人気は揺るぎません。

しかし、こんな疑問や不満が漂います。

2018年に公演された「凱旋門」(雪組公演)での轟悠さんの声がかすれていて、セリフを言うのも少し苦しそうだったと心配するファンが多いのも事実。

ファンたちの間で葛藤があるようです。

「退団する時がきた、自分のこころに正直になろう」

惜しくも退団された轟悠さん。

「時がやってきたことに気づき、素直に心に従おうと決めてた」と退団理由を記者会見で明かしました。

「男役とは何か最後まで追求したい」

「舞台に立つとか女優になるのか一切浮かんでおりません」と語り、現役生活に幕を閉じました。

退団会見はこちらをご覧ください。

専科 轟悠 退団記者会見 | エフエム宝塚 (835.jp)

轟悠、宝塚退団後の女優活動は「一切浮かんでない」 – 宝塚 : 日刊スポーツ (nikkansports.com)

まとめ

轟悠さんと宝塚歌劇団との出会いから、入団後の活躍や人気に迫りました。

36年間もの長い間、ぶれずに男役に徹し極めた軌跡。

数々の受賞歴が確固たる証です。

「華々しい活躍の後は、静かに退団」が轟悠さんが出した答え。

退団されたのは悲しく寂しいですが、功績はいつまでも後輩たちに受け継がれ、人気は永遠でしょう。

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