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誰よりも清く正しく美しかった人へ~明日海りおさん退団によせて~

宝塚歌劇を楽しもう

2019年11月24日の今日、宝塚歌劇団花組トップスターの明日海りおさんが退団します。

ため息ものの美しさや繊細なお芝居をはじめ、様々な魅力の詰まったスターとして、低学年の頃から注目を集めてきた明日海さん。

彼女の素晴らしさはとても語り尽くせるものではありませんが、退団に際してその足跡を振り返りたいと思います。

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「芝居の月組」の下級生として

明日海さんは2003年、スター豊作の89期生として入団。

初観劇も月組、初舞台も月組、配属も月組ということで、月組に並々ならぬご縁があったようです。

初舞台の頃のお姿を見でも、すでにスッキリとした二枚目で宝塚らしい格好よさがあります。

その美しさで抜擢が続きますが、そこで美しさに慢心することなく(まあ宝塚にそのような方はいませんが)、ずいずいと力を増していきます。

正直に言って、歌やダンス、お芝居は、苦労なく得意(そのような方もまた宝塚にはいないのですが)というわけではなかったと思います。

しかし、役がつく度にひと回りもふた回りも大きくなっていく姿は目をみはるものでした。

特にイキイキと変化していたのはお芝居です!

2006年に大空祐飛さん主演で上演されたバウホール公演『THE LAST PARTY』の再演、研3の明日海さんが演じたのは「公園の学生」という役。

全く目立つ役ではありませんでしたが、まだあどけない顔ともごもごとした滑舌で述べたフィッツジェラルドの本への感想は、ぽろりと出た本当の言葉のように感じられるものでした。

新人公演の期待の星

その後2008年には『ME AND MY GIRL』で新人公演初主演を果たしました。

その後も名作『エリザベート』を始め、様々な演目で新公主演を務めます。

順風満帆な上げられっぷりに見える下級生時代ですが、ご本人としては自身をもどかしく思うところもあったそうです。

エピソードとして「気弱になるとセリフを噛んでしまうことが多かった」と語る明日海さん。

自分のやっていることに迷いが生じ、お芝居から心が離れてしまうと「あ、次のセリフ噛みそう」と直前にわかったのだそうです。

また、2009年には、『二人の貴公子』で龍真咲さんと共にバウホールW主演を務めます。

先輩である龍さんと役替りや対のポジションとして用いられることが増えると、「思い切りの良い真咲さんに比べ、自分はいつもうじうじしている」と悩むことも多かったとのこと。

そこで明日海さんは、気弱にならなくなるまで練習を重ね、自信を持つしかないとお稽古に励みます。

トップスターになられてからの、自分にも周りにも良い意味で厳しくストイックな姿勢は、この頃から培われていたものなのでしょう。

『二人の貴公子』の作中で「さらば少年の日々よ」と歌う明日海さんの姿に、下級生の日々に別れを告げさらに上を目指す状況が重なり眩しかったです。

花組トップスターへ

新人公演時代を乗り越え、様々な役を経て異例の「準トップ」となり、花組に旅立ったのが2013年。

そして2014年にはいよいよ花組トップスターに就任します。

花組は宝塚の中でも最も歴史ある組で、そこに落下傘状態でトップとして就任するのは本当に大変なことであったと思います。

組替えしたてや、トップ就任したてのころの作品は、映像で見ているだけでも緊張感が伝わってきました。

1人目のお嫁さんだった蘭乃はなさん、2人目のお嫁さんだった花乃まりあさんと舞台をつくり上げる姿はストイックそのもの。

「楽しもう」ではなく「素晴らしいものをお客様にお見せしよう」という姿勢があらゆる場面から透けて見えました。

特に花乃さんとのコンビは崇高な修業をする師弟のようでした。

甘ったれたファンとしては「そこまで厳しくしなくてもお2人は素晴らしいのに……」などと思うこともしばしばでしたが、『金色の砂漠』を観て、到達した高みを感じました。

誰より自分に厳しい明日海さんであったからこそ、愛あるストイックさで信頼関係を築くことができたのでしょう。

3人目のお嫁さんであった仙名彩世さんとの日々は、とにかく素晴らしく輝いていました。

これまでと同様のストイックさで挑む明日海さんに、圧倒的な技量と持ち前の明るさでがんがん食らいついた仙名さん。

ご卒業の際に「楽しい事ばかりじゃなかったと思うけれど、」と言葉をかけた明日海さんに、間髪入れず「全部楽しかったですよ!」と答えた仙名さんを見て、明日海さんがどれほど救われたことでしょう。

この頃から、少し肩の力が抜けたような、自分のスタイルが確立されたような落ち着きが見えてきたと感じます。

そして最期のお嫁さん、華優希さんとの残り1作。

華さんとの関係は、今までの相手役さんとのそれとは少し異なっているように思えます。今までのように厳しく上り詰めるのではなく、慈しみながら手を取り合って歩くようなコンビです。

1歩ずつ歩く中で、きっと明日海さんは最後に目に焼き付けたい宝塚の景色や、後ろに残したいものをひとつずつ考えて来られたのではないかと思います。

清く正しく美しく

 研究科17年、明日海さんは誰もが憧れる大スターになりました。

トップスターになられた際のインタビューで、音楽学校に入学したことからトップ就任に至るまでずっと「自分はなんて運がいいんだろう」と思っていたそうです。

そして、そこまで来られた運の良さに感謝しながら。それに応えるだけの覚悟と責任を持たなくてはと常に思い続けていたといいます。

「自分がすごい」ではなく「運の力でつれてきてもらった」と思える清らかさがあり、そこから卑屈にならず正直な努力を積み重ね、努力を惜しまなかったが故に美しく輝いた明日海りおさんは、宝塚の精神をそのまま人の形にしたような存在だったのかもしれません。

今日は、ハンカチをたくさんもって、しっかり見届けに行きたいと思います。