檀れいさんという女優をご存知の方も多いと思いますが、意外と知られていないのが、檀れいさんが宝塚歌劇団の出身だっということ。
檀れいさんは、宝塚歌劇退団後、映画「武士の一分」のヒロイン三村加世役で華々しくスクリーンデビューを果たしました。
私は、たまたまこの映画を観ていたのですが、檀れいとは誰か、女優の檀ふみと何らかの関係があるのかと思ったりしていました。
主演の木村拓哉よりも檀れいが気になったほどで、ヒロインを見事に演じ切っていました。
後で分かったのですが、宝塚歌劇団では、月組や星組のトップ娘役を歴任したのち、2005年に退団し、翌2006年の山田洋次監督のこの作品に大抜擢されたということでした。
実に現在大活躍中のレジェンド天海祐希を彷彿とさせるようです。
しかしながら、檀れいはある意味、天海祐希とは対照的な存在かもしれません。
1.宝塚トップから女優へ
現在活躍中の宝塚歌劇出身の女優は、数多いですが、あえて3人を紹介します。
まず筆頭に挙げられるのは、1993年に月組トップスターに就任した天海祐希です。
レジェンドと言われるほど数々のエピソードがあります。
1995年28歳の時、『ミー・アンド・マイガール』で退団しました。
退団後は、『女王の教室』『BOSS』など多くのヒットドラマや映画に出演しました。
次に『宝塚の革命児』と称された真矢みきです。
彼女は、1995年に『エデンの東』で花組トップスターになり、1998年『SPEAKEASY』で退団しました。
退団後は、映画『踊る大捜査線』ドラマ『ガリレオ』など数々のヒット作に出演しました。
最後に、1982年月組トップスターの大地真央です。
彼女は、『二都物語/ヒートウェイブ』で退団しました。
退団後は、『風と共に去りぬ』や『マイ・フェア・レディ』などで大活躍しました。
2.檀れいの宝塚歌劇時代
檀れいは、ラストチャンスを生かして、宝塚音楽学校に入学しました。
受験準備期間もわずか数ヶ月だったので、成績も最下位でした。
強運の持ち主と言えるかもしれません。
初舞台は、1992年『この恋は雲の涯まで』です。
そして『浅茅が宿』の新人公演で初ヒロインですが、研7の檀れいにとって、またもやラストチャンスをものにしたのです。
1999年月組娘役トップに就任しました。
この年、初の中国公演で、『夢幻花絵巻/ブラボー!タカラヅカ』に出演しました。
2002年にも二回目の中国公演に参加して、大人気で、『楊貴妃の再来』とまで高く評価されました。
2003年星組トップ娘役を経て、2005年に退団しました。
3.檀れいの退団後
檀れいは、退団後の翌2006年に、山田洋次監督作品の『武士の一分』でヒロイン三村加世役でスクリーンデビューを果たしたのです。
そして、第30回日本アカデミー賞主演女優賞、新人俳優賞や第44回ゴールデンアロー賞など数々の賞を受賞しています。
テレビや舞台でも活躍し、「金麦」などのCMにも出演しているのです。
プライベートでも、話題性があり、2011年に及川光博と結婚したのですが、残念ながら7年後の2018年に離婚しました。
檀れいは、宝塚歌劇でも退団後に重用されて、宝塚音楽学校創立100周年記念式典の司会役を任されたりしています。
また、意外なことに農林水産省の「日本食普及の特別親善大使』も務めています。
4.檀れいのテレビ・映画等での活躍
檀れいの宝塚退団後の活躍は、際立っています。
前述したように退団翌年にはキムタクと共演して話題になりました。
2007年には、『陽炎の辻~居眠り磐音江戸双紙~』でドラマデビューも果たしました。
そして、NHK大河ドラマ「平清盛』で鳥羽天皇の妻役、2020年の『麒麟がくる』で織田信長の生母役が話題になっています。
また、CM出演、ラジオ、司会、歌手、声優など様々な分野で大活躍中です。
最後に
檀れいは、今や宝塚歌劇出身者の中でも極めて注目を集めていますが、ここまでトントン拍子に来たわけではありません。
エリートコースまっしぐらのレジェンド天海祐希とは違って、最下位で宝塚音楽学校に入学したり、ギリギリ研7で新人公演ヒロイン役に抜擢されたのです。
その後は、花開き華麗なる道を歩み続けているようです。
プライベートでは、結婚、離婚を体験したのですが、人生いろいろですので芸の肥やしにして、ますます宝塚出身スターとして大きく飛翔することを期待しています。