神田沙也加さんが2021年12月18日に突然お亡くなりになりました。
朝夏まなとさんと、再びWキャストで主演された「マイ・フェア・レディ」公演中のことです。
心よりご冥福をお祈りいたします。
沙也加さんは宝塚のご出身ではありませんが、元タカラジェンヌの方と、多くの交友がありました。
そこで宝塚ファンの視点で、沙也加さんについて、少し振り返ってみたいと思います。
非常にセンシティブな話題となっています。
ご理解のある方だけ、お読みいただければ幸いです。
大地真央さんと沙也加さん
テレビなどの報道で何度も取り上げられていたのが、大地真央さんとの交流です。
SNSでもナチュラルに「ママ」と書かれていたので、若い方は本当の母親だと思っていたかもしれませんね。
沙也加さんが本名の「神田沙也加」として活動する決意をされたのは、大地さんの後押しがあってこそだそうです。
「マイ・フェア・レディ」の日本初演主役は、江利チエミさんです。
その後、那智わたるさん、上月晃さん、霧矢大夢さん、真飛聖さんなど、多くの元タカラジェンヌが、主演のイライザを務めてきました。
その金字塔と言えば、間違いなく大地さんです。
20年に渡り、主演されました。
その大地さんが、沙也加さんがイライザになった時に本当に嬉しそうな顔をしていたのが、印象的でした。
長年、陰日向になって沙也加さんを応援してきた、大地さん。
急逝後、すぐにコメントが出せる状況ではないと発表されたのも、当然でしょう。
「マイ・フェア・レディ」が大好きで、セリフも丸暗記していたという沙也加さん。
イライザに受かったという報告を受けたときは、別の舞台の稽古場だったそうですが、周囲の目も構わずに大号泣してしまったほど、嬉しかったそうです。
もちろん「ママの大切な役」である、イライザにかける決意は、並々ならぬものだったとか。
そんな大切な舞台をせっかく再演できたのに、と考えると、本当に無念です。
朝夏まなとさんと沙也加さん
朝夏まなとさんが退団されて、最初のミュージカルが「マイ・フェア・レディ」でした。
そこでWとなったのが、沙也加さんです。
この舞台で仲良くなったお二人ですが、朝夏さんを「まぁちゃん」と呼ぶ沙也加さんには、最初びっくりしました。
朝夏さんは元トップで、年上ですし「いきなりまぁちゃん? まぁ様じゃないの??」と思ってしまったのです。
けれどお二人は、「まぁちゃん」「さぁちゃん」と呼び合い、とても仲がよさそうに見えました。
別の舞台の際に、朝夏さんが沙也加さんの楽屋を訪れることもあったそうです。
人との垣根をすっと飛び越えてしまう魅力を、沙也加さんは持っていたんでしょうね。
沙也加さんの思いとともに、「マイ・フェア・レディ」を沙也加さんの分まで務め、完走された朝夏さん。
トップ時代のことを思えば、体力的にも重圧的にも難しいことではないと思います。
それでも精神的には、とても辛いものだったはずです。
「マイ・フェア・レディ」の前は「王家の紋章」で、アイシスとキャロルという、敵対する役を務めていたのですから。
稽古期間を含めれば、ずいぶんと長く一緒にいたはずです。
「マイ・フェア・レディ」は初演の際に、稽古期間はお互いの芝居を全く見なかったという話をされていました。
ですから今回もそうかもしれません。
しかし舞台が始まれば、やはり顔を合わせることもあったはず。
そんな悲しみを背負ったまま、舞台ではおくびにも出さずに堂々と勤め上げた朝夏さん。
本当に頭が下がる思いです。
夢咲ねねさんと、沙也加さん
「1789」のオランプ役でWを務められたお二人。
共演後も仲良くお出かけする姿がSNSにアップされました。
沙也加さんが、夢咲さんのポスターの前で自撮りして「ツーショット」とアップするなど、仲の良さが伝わってきました。
夢咲さんを「ねし」と呼ぶ、沙也加さん。
お二人の写真は本当にかわいらしく、まるで姉妹のようで、ほっこりさせられました。
朝夏さん、夢咲さんだけではなく、他にも多くのOGさんが、沙也加さんの訃報にコメントを出されていました。
旭輝子さんと沙也加さんと宝塚
沙也加さんのお父さんと言えば、神田正輝さんです。
では、神田正輝さんのお母さんと言えば?
宝塚ファン、ミュージカルファンの方には、認知度が高いのではないでしょうか。
そう、元松竹少女歌劇団の旭輝子さんです。
退団後は、映像の世界でも活躍されました。
沙也加さんのミュージカルでの活躍は「さすが聖子さんの娘」と言われることが多かったようです。
しかしミュージカルの世界に飛び込んだのは、大地真央さんだけではなく、旭輝子さんの影響もあったのではないかと、勝手ながら推測しています。
沙也加さんの顔立ちも、聖子さんに似ているのはもちろんですが、旭輝子さんのお若いころによく似ていらっしゃるんですよね。
特にあの大きく印象的な目が、お祖母様譲りではないかと思います。
元松竹少女歌劇団の旭さんですが、実は宝塚にも合格していたそうです。
しかし浅草出身の旭さんには、宝塚は遠すぎました。
そこで家から通える松竹少女歌劇団に入団されたそうです。
こんなところにも、沙也加さんと宝塚には、縁があったんですね。
もしも、沙也加さんが宝塚を目指していたら
沙也加さんは以前、「宝塚を目指せる年齢のときに、宝塚を知らなかったから」という話をされていました。
もし子供のころに宝塚を知っていたら、沙也加さんは宝塚を受験していたかもしれませんね。
沙也加さんが子供のころは、神田正輝さんは遠慮もあってあまり連絡を取っていなかったそうです。
一時期沙也加さんがアメリカに住んでいたということも、理由としてあるのでしょう。
しかしそのころ、父親だけでなく祖母とも親しく交流があれば、SKD、そしてその姉妹のOSKの話になり、宝塚にも足を運ぶことがあったかもしれません。
沙也加さんの訃報の後、ニュースでは軒並み「二世の重圧」という話題が出ていました。
宝塚は、様々な世界の二世が多い印象です。
そしてタカラジェンヌ二世という方だけではなく、すでに三世もいらっしゃるとか。
芹香斗亜さんは、お母さまが元タカラジェンヌ、お父様が元阪急ブレーブスの選手ということで「阪急の申し子」として有名ですね。
最近はどうかわかりませんが、以前はごく普通のお家の方がトップスターになられると「〇〇の娘のくせに」という悪口をネットに書く方が多くいました。
トップスターはご本人の努力と煌めきでなるものだと思うのですが、悪口というのは常に理不尽なものです。
二世の重圧を背負っている生徒さんが多い一方で、同期の強い絆が生まれるのが宝塚です。
もし沙也加さんが宝塚に入っていれば、外部ほどには二世の重圧を感じず、苦しい時でも真摯に支え合える仲間が出来て、悲しいことにはならなかったのではないでしょうか。
そんな「If」を夢見てしまいます。
きっと夢々しく愛らしい娘役さんになったんだろうな、と思ってしまいますね。
あの歌声を宝塚で磨けばエトワール、そしてトップ娘役さんも夢ではなかった気もします。
さいごに
沙也加さんは愛らしく、東宝ミュージカルの看板女優になると思われていた方でした。
「キューティ・ブロンド」は、本当にはまり役だったと思います。
宝塚のOGさんとWになっても、引けを取らない華やかさは、天性のものだったのでしょう。
彼女の舞台を今後見られないのは、本当に残念でたまりません。
今はただ、ご冥福をお祈りするばかりです。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。