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波瀾爆笑!?我が人生「碧海さりお」の巻を読んで号泣した話

宝塚歌劇についての雑記

今月発売の宝塚GRAPH、人気コーナーの「波瀾爆笑⁉︎我が宝塚人生」で101期の碧海さりおくんが取り上げられていました。

こちらのコーナーでは、現役タカラジェンヌの幼少期から宝塚音楽学校に入学するまでの受験ヒストリーや、合格秘話をイラスト漫画で紹介してくれる人気コーナーですので毎回楽しみに読んでいます。

どのジェンヌさんの受験話も貴重に読んでいますが、今回さりおくんのエピソードを読んであまりにも感動し胸にグッとくるものがありましたので記事にしたいと思います。

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誕生~小学生まで

さりおくんは石川県金沢市生まれの一人っ子だそうで、お受験をし国立の幼稚園に入学されたとのことでした。

生まれたての頃から元気いっぱいで、泥遊びや一輪車などの外遊びが大好きな活発な女の子だった傍ら、「幼児教育、ピアノ、英語、スイミング、スキー、テニス、絵画、蒔絵」などもされていたそうです。

幼少の頃からたくさんの習い事をさせてもらえるのはやはり一人っ子あるあるですよね、

特にバレエに関しては十数年通い続けたとのことで忍耐力の強さはこの辺りから身についているのですね。

受験のきっかけ

バレエの道に進もうと考えていた頃に、友達からの「宝塚を観たことある?」との問いかけで興味を持ち、宙組公演「炎にくちづけを/ネオヴォヤージュ」を観劇し、”男役になりたい‼︎”と幕間で既に決意したそうです。

ここからが、さりおくんにとっての転機だったのですね!

中学~受験生時代

中学に上がると、部活はせずにバレエ漬けの毎日、声楽のレッスンも始めたそうです。

そして中2の冬休みには宝塚受験の冬季講習のため一人で東京に通い始め、中3での初受験では強い気持ちを抱き3次まで行くものの不合格。

一旦、私立の高校に入学し、何か宝塚に繋がればとの思いで華道部に入部。

部活との傍ら、週末は土曜の朝一で東京までレッスンに行き、日曜の最終で帰る生活を送っていたそうです。

そうして臨んだ2度目の受験でも、3次までいけたそうですが不合格。

ただ「何が何でも入りたい!」と強い気持ちがあったそうで、諦める選択肢は一切なかったそうです。

また同じ時期に、母校のOB訪問で講演に来られた本田圭佑さんの「人生には色々なことがあるけれど、諦めたらそこで終わりだ!」との言葉に気持ちが晴れたそうです。

そして迎えた3度目の受験、またしても3次まで進むも不合格。

この際に一緒に受験していて合格した一ノ瀬航季くんと夏風季々さんから「来年待ってるからね!!」と励まされ、「絶対に入らなければ!!」と涙したそうです。

そしていよいよ、泣いても笑ってもラストチャンスの4度目の受験。

3次試験の面接では「4回目の受験でどうして今回もここまで進めたと思いますか?」との面接官の問いに、さりおくんは「執念です!」と答え面接官たちをどっと笑かしたそうです。

そして合格発表にはお母様とパネルを見に行かれたそうですが、パネルが開いた瞬間に大号泣したさりおくんを見たお母様が不合格だったのだろうと察し「帰ろう…」と声をかけたそうですが、「違うの、名前があったの~!」と合格を伝え、嬉し涙やら感動やら色々なものが込み上げてきての大号泣だったのでしょう。

ここまで、読みまして本当にさりおくんは”努力の人”だなと思いました。

人間、諦めてしまったり腐ることは簡単ですが、3度も受験に失敗したにも関わらず4度目まで臨み続けたその忍耐力に感動です。

そして、このような話はさりおくんだけに関わらず、宝塚の舞台に立つタカラジェンヌ一人一人にストーリーがあるんだよなあ、と目頭が熱くなりました。

これからも努力を積み重ね続けるさりおくんの舞台を楽しみに、見続けていきたいと思いました。