宝塚市は、宝塚歌劇団があることで、街のイメージが華麗で鮮烈なものになっていると思います。
あの阪神淡路大震災は、1995年1月17日午前5時46分に発生したのですが、宝塚市にも多大な被害をもたらしました。
何と、関西全体で6435人もの犠牲者が出て、惨憺たるものでした。
阪急電鉄の被害も尋常ではなく、三宮駅と伊丹駅は完全に機能麻痺状態でした。
しかしながら1月19日には、阪急宝塚駅が開通して、復興への第一歩を歩み始めました。
この震災の2年前に旧大劇場を取り壊し新大劇場が完成していたのですが、震災にも関わらず毅然と屹立していたのです。
震災後、大劇場公演が中止となったのですが、2月の名古屋公演を皮切りに、東京公演と続き、ついに宝塚大劇場公演も開始されました。
ところで、2020年は新型コロナウィルスの影響で、6月末まで公演中止になっているのですが、約1ヶ月半遅れの6月5日(金)に宝塚音楽学校第108期生の入学式が規模を縮小して異例の大劇場ロビーで無事に挙行されました。
首席入学の奥山映美さんの「魅力的なタカラジェンヌになりたいです」という言葉は実に印象的でした。
1.宝塚歌劇団の誕生と発展
宝塚歌劇団は、1913年に創設された女性だけの歌劇団です。
同時期に設置された宝塚音楽学校も注目すべき存在だと思います。
奇しくも今年は、コロナの影響で、延び延びになっていましたが、やっと6月5日(金)に入学式が実施されたのは、何よりのことでした。
2014年に百周年を迎えた宝塚歌劇団は、日本の伝統的な歌舞伎と並ぶほどの盤石の基盤を確立しつつあるようです。
今や、国内では年間約300万人もの観客を集め、年間公演回数約1300回にも達し、さらに海外にも進出し、アジア諸国に多大な影響力を行使しています。
創業者小林一三氏が当初は、宝塚少女歌劇団の名称で、宝塚新温泉への誘引策としてスタートさせ、ここまでの発展軌道に乗せたのは称賛すべきことです。
2.宝塚歌劇と東アジア演劇
宝塚歌劇団が東アジアに影響した3カ国について述べてみます。
まず、中国ですが、言わずとしれた京劇が有名です。
この京劇ではなく、越劇ですが京劇と同様に中国では、「戯曲」というジャンルに属します。
戯曲共通の特性としては、感情表現が「歌」であることです。
しかしながら、この越劇は中華人民共和国誕生後は、統合再編されて、公立劇団になったのです。
次に台湾歌舞団は、意識して宝塚歌劇と松竹歌劇をお手本としました。
1970年代に台湾は国連を、脱退し経済発展を目指し重工業化による開発によって、土地価格が高騰して歌舞団が上演可能な劇場がドンドン閉鎖されていきました。
最後に韓国の女性国劇ですが、1940年代に満州公演の一環として、宝塚歌劇団がソウルで公演して、女性国劇に多大な影響を与えました。
3.宝塚市の変貌ぶり
宝塚市は、温泉街としても有名でしたが、今や宝塚歌劇団とともに華麗なる街として変貌しつつあります。
ここ数年の間でさえも、宝塚南口直近に佇立していたシンボリックな宝塚ホテルが老朽化のため宝塚大劇場に隣接した場所に新築移転することになりました。
宝塚ファミリーランドの跡地も大きく変化しました。
素敵なカフェ「グリーン・ベリー」や「カフェ・ド・ヴォイラ」は手塚治虫記念館のすぐ近くに位置しています。
ここから、宝塚大橋に向かうと、宝塚音楽学校生がきちんと2列に並び、凛とした姿勢で通学する姿を拝見できます。
この周辺は宝塚の中心部にあたるようですが、たまにタカラジェンヌに遭遇できるお宝スポットと言っても過言ではないと思います。
最後に
新型コロナウィルスの第一波は収束しつつあるようですが、まだまだ余談を許さない状況です。
宝塚歌劇団も長期間に渡り、公演できない状態が続行しています。
阪神淡路大震災から見事に不死鳥の如く復興したように、今回も7月以降には光明が見えてくるのではないでしょうか。
異例とは言え、6月5日(金)の宝塚音楽学校の入学式が無事に終了できたので、これを機に宝塚歌劇団がより大きく飛翔できることを期待したいものです。