宝塚歌劇団を創ってくれて本当にありがとう!と心から思うのです。
劇場に足を運ぶとエネルギーをたくさんもらえて、テレビをつけると色々な形の「愛」を感じさせてくれて、次から次へと「新しい何か」を魅せてもらえる。
こんな素敵な場所って他にある?といつも何度も想う。
そんな宝塚歌劇を創った人って、どんな人がどんな想いで創ったのだろう?って思いませんか?
今日は、宝塚歌劇を創設した「小林一三」について書いてみたいと思います。
宝塚歌劇創設小林一三、国民劇誕生への思い
すべてのことに始まりがある。
宝塚歌劇の創設者は、小林一三である。
彼の歌劇誕生から彼が見た未来への展望を紐解いていくと実に興味深い。
私は高校の頃(1998年)、WOWOWで初めて宝塚歌劇の舞台をテレビで見て以来、ヅカファンとなり宝塚歌劇を見続けてきました。
当時、今テレビで活躍されている真矢みきさんが、黒燕尾で「すみれボレロ」(♪すみれの花咲くころをボレロ長にアレンジ)した曲で踊っているシーンが衝撃的であった。
そのトップスターのオーラ、振り付け、目線・曲のアレンジを含めて男役スターへ恋した瞬間であった。
ちなみに、私は宝塚歌劇の曲のアレンジ・編曲が大好きである。
この作品は、旧東京宝塚劇場の最後の作品「ザッツ・レビュー」のフィナーレナンバーであった。
さて、本題である小林一三氏の構想した宝塚とは関西と東京に同規模の2000人を収容できる大劇場を東西に作りたい、そして、子供から高齢者、男女を問わず楽しめる大衆娯楽である「国民劇」を作りたいとの思いでした。
そして、宝塚が最終的にはテレビで視聴できている時代がくると願っていました。
令和の時代になった今、この一三氏の構想が現実のものとなっていく過程を振り返ってみたい。
第一章「宝塚歌劇団誕生」
時は、大正2年、彼が小さな温泉町「宝塚」に鉄道を走らせ、その温泉場で劇を始めたことが宝塚歌劇の始まりである。
小林一三が当時の演劇を彼の友人たちと観劇した際に話した言葉が印象的である。
「皆さんは、ほんとにこの劇が楽しいとお思いですか?」
と当時の演劇界への不満があり、彼は半ば「つまらない」と感じていた様子である。
歌劇の創設にあたり当時の演劇界が彼に与えた影響は大きい。
また、当時の大衆娯楽、とりわけ男性の娯楽についても一三氏の鋭い眼差しの発言がある。
「私が目指す宝塚歌劇とは世の男性を含め子供から大人、家族そろって楽しめる国民劇の創設こそが我々の使命である。」
と語っている。
私がもっとも創設者小林一三の歌劇創造の中で特に感動した点は、音楽劇の創作の過程にある。
小林一三氏自ら劇中曲の稽古を見ていた時に、ここの場面では曲の繰り返しにより、一曲の長さが長く、退屈であったため歌曲の譜面を氏自らハサミで切って糊付けし、一つの楽譜を制作していたとの話がある。
これは、現在でいえば、「構成・編曲」にあたる作業である。
氏が上演演目の演出に着目し、まさしく、歌う劇の楽しさを追求した姿があった。
これが、現在の歌劇のための演出家を採用し、座付き演出家へとつながっていくストーリーである。
ちなみに、これはか少し余談になるが現在の宝塚歌劇のお芝居でトップスターが歌うナンバーは、平均1分40秒から2分程度である。
小林一三氏が思い描いた夢は、今、宝塚大劇場・東京宝塚劇場の通年公演(1年を通して、宝塚歌劇を鑑賞できる公演・組編成)を実現させ、現在は、若い恋人たちが宝塚歌劇を観劇し、女性につれられた男性など、老若男女が観劇している。
また、一三氏が願った、お茶の間のテレビでも宝塚歌劇を見ることができる
それが宝塚専門チャンネル「スカイステージ」である。
タカラヅカ・スカイステージは、2002年よりスタートし、宝塚歌劇の魅力を日本中に届けたいとの一三氏の夢は、ここに実現したのである。
第2章 小林一三氏の宝塚歌劇の夢の続きは…?
さて、ここまでは、宝塚歌劇の創設者の夢が時代とともに実現されてきたその流れを見てきた。
次に、宝塚歌劇の未来? 小林一三氏の夢の続きは?とのテーマで
未来の宝塚歌劇について、語ってみたい。
それまでは最大観劇数が劇場客席数に限られていた舞台をライブビューイングジャパンの創立により、千秋楽の舞台を全国の映画館でライブ中継という形で迫力満点の映画館のスクリーンと音響で観劇できるまでに進化してきている。
そのことによって地方にいる宝塚ファンも千秋楽を楽しむ機会が増えてきている。
これからの宝塚歌劇は、舞台中継をネットでライブ配信し、その配信映像は、4K・8Kの未知の世界へ突入し、まるで生の舞台を見るのと遜色ないレベルまで進んでいくのは、必然の流れだろう。
長い人生の中で、宝塚歌劇に出会えたこの奇跡を私は、これからも書いていきたい。
一人でも多くの人に、宝塚歌劇の魅力とは何か、劇場観劇の楽しみ方・ライブビューイングの楽しみ方等、綴ってまいります。
最後に私は、タカラヅカ歌劇の創設者小林一三氏に一言送りたい言葉がある。
Viva宝塚 ※Vivaはスペイン語で万歳の意味