宝塚歌劇団雪組の大劇場公演『蒼穹の昴』が10月1日から始まります。
彩風咲奈(あやかぜ さきな)さんが雪組トップスターとなって初めての一本モノとなり、トップ娘役である朝月希和(あさづき きわ)さんの退団公演でもあります。
浅田次郎の代表作の一つとも言える『蒼穹の昴』。
今回初の舞台化となり、壮大な世界観をどう演出するのか、注目が集まっています!
でも、中国史は人物名が覚えにくかったり、入り組んでいるから理解できるだろうか…と不安な人も少なくないのではないでしょうか。
結論から言いますと、『蒼穹の昴』は政治的に対峙しているグループが主に2つなので、分かりにくくはない…はず。
しかし、中国の興味深い文化や人物の知識があると、もっと『蒼穹の昴』が楽しめるはず!
ということで、中国で実際に行われていた制度や実際の人物をいくつかご紹介してみたいと思います!
『蒼穹の昴』にもたくさん出てくるキーワードですので、ぜひ覚えてから観劇してみてくださいね。
一樹千尋さん演じる『西太后』
蒼穹の昴といえば、ラスボスと言えるのが西太后(せいたいごう)です。
国の役人だった父を持ち、当時の皇帝・咸豊帝(かんぽうてい)のお妃選びに西太后が立候補します。
当時の女性としては珍しく文字が読めたり知識も豊富な西太后は、正室ではありませんが、お妃の一人として選ばれます。
正室を含め、複数いるお妃の中でいちばん最初に男子を出産したのが西太后でした。
それにより、西太后は側室の中でトップの地位を獲得します。
咸豊帝(かんぽうてい)が結核によって30歳で崩御すると、西太后が産んだ長男が後継者になり、同治帝(どうちてい)となります。清の第10代皇帝です。
しかし即位時の年齢は5歳。もちろん政治など行うことはできませんので、母の西太后が中心となって、政治を動かすようになります。
この同治帝(どうちてい)もまた長生きせず、19歳で崩御します。
天然痘や、女性遊びが原因の梅毒が死因と言われています。
縣 千(あがた せん)さん演じる光緒帝
次に白羽の矢が立ったのが、西太后の妹の息子です。
これが縣 千(あがた せん)さん演じる光緒帝(こうしょてい、またはこうちょてい)です。
このあと、西太后vs光緒帝という2つの勢力によって清の方針が二分される様子を描いたのが、『蒼穹の昴』の時代背景となります。
宝塚ファンに西太后を説明するとしたら、『エリザベート』のゾフィーそのもの、といった感じでしょうか。
誰も逆らえず、政治にもどんどん介入し、身内にも容赦しない。
そのせいで「西太后」というとどうしても「悪役」のイメージが付きまといますが、滅びゆく清の国を何十年も延命させた政治的センスは賞賛に値するものです。
『蒼穹の昴』でも、浅田次郎はそのイメージを払拭すべく、単なる悪役ではない人物として描かれています。
ただ、汚職や暗殺のようなことにもたくさん手を付けていて、自身の住まいである頤和園(いわえん)のために海軍予算を横領していたりします(笑)
その頤和園(いわえん)、今も中国に残っています。
その豪華さを見れば、どれほどの国家予算を使ったのか一目瞭然です。
↓↓↓現在も見ることができる頤和園(いわえん)↓↓↓
倍率は3000倍!国家試験『科挙』
古代中国から1300年間にわたって行われてきた国家試験が「科挙」です。
一言で言うなれば、「勉学だけでのしあがれる一発逆転の試験」。
受験資格は男性であることのみ。
軍に入って軍功を上げる必要も、思想家や革命家になってのしあがっていく必要も無く、ペーパー試験にさえ合格すれば、本人はもちろんのこと、その身内まで一生の安泰が約束されるすごい制度です。
しかし、その試験内容はとんでもなく難しく、儒教の基本である「四書五経」をほぼ丸暗記する必要があります。
合格倍率はなんと3000倍!宝塚音楽学校の20倍が「西の東大」と言われるほどですから、3000倍なんて気が遠くなりますね…
幼い頃から英才教育を受け続けても合格への道は大変険しく、「五十少進士(五十歳で進士になるのは若い方だ)」ということわざが生まれるほどでした。
「進士」とは、科挙の最終試験合格者のことです。
『蒼穹の昴』宝塚バージョンの主人公になっている梁文秀(リァン・ウェンシウ)(彩風咲奈)は、この科挙試験に首席合格した天才です。
科挙はそのあまりの難しさに、受験準備中に精神に異常をきたしてしまったり、自殺してしまう人も出てしまうほどでした。
平民がひどく貧しい暮らしをしていた当時の中国で、一族すべての安泰を約束される役職になれるということで、一族からのプレッシャーも凄まじかったでしょうね…
日本の受験戦争と同じように、替え玉やカンニングなどが横行したり、たとえ真っ当に合格しても儒教のテキスト丸暗記の知識だけで政治が行えるはずもなく。
いろいろな弊害が起こるようになり、1905年、清の時代に科挙は廃止されました。
1300年も続いてきた科挙を廃止するという大きな決断をするときに、康有為(奏乃はると)は、西太后に「科挙のない日本にも優秀な人は多い」と進言したと言われています。
衝撃の歴史・文化を持つ中国
「西太后」「科挙」と、なんとなく聞いたことはあっても、いろいろと調べてみると驚きの内容ばかりでした。
西太后は光緒帝が亡くなった翌日に逝去していますので、自身の死期を悟った西太后が光緒帝を毒殺した、という説も濃厚なようです。
実の甥を毒殺とは…!!
中国史を知れば知るほど、「なんでもありなのか!」と思ってしまうほど衝撃的な手法がまかりとおっていた中国。
その一方で、三国志に登場するような英雄がたくさんいたり、日本の武士道精神にも大きく影響を与えていた儒教が興っていたり。
掘れば掘るほど面白い中国、後編もまだまだオドロキの文化をご紹介します!