元旦から星組公演「霧深きエルベのほとり」が始まります。
一体どんな作品なのだろうか。始まるまで想像できません。
トップ紅ゆずるもスカイステージの番組の中で台本を読むだけで泣いて泣いて・・・・と話していましたね。
演出家上田久美子といえば、涙なくしては見れない雪組の「星逢一夜」や花組「金色の砂漠」を脚本、演出してきた演出家ですから、これも泣かせる作品になるでしょう。
先日、演出家の上田久美子さんがこの作品についてインタビューで語っていたので、抜粋してみました。
作/菊田 一夫
潤色・演出/上田 久美子
演出家上田久美子と「霧深きエルベのほとり」の出会い
宝塚歌劇の演出家募集時の入団試験を受けようと思って宝塚歌劇の台本にはどういう形式があるのかを調べてみた時にみた台本が「霧深きエルベのほとり」だった。
その時の台本について
なんてよくできた台本なんだろう。と
ほんの内容そのものにも感動して涙が出ましたがそれより感動したのは、
宝塚歌劇団は「こんな上質なものをやっているのか」と感じました。その上質なものをみて、「私は絶対に受からないなということと、万が一この宝塚に入って私が台本を書いてしまったらとんでもないことになってしまう」と感じたのが、この作品との出会いでした。
この作品のテーマが「幸せとはなんなのか」ということだと思います。
今、なぜ人は幸せと感じられないのか?
それはほとんどの人が欲しいと思うものを手に入れてしまったからではないか。
菊田先生がこの台本を書いた時代、1960年ごろは、高度経済成長の真っ最中で、人が三種の神器(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)を頑張って働けば手に入れることができる、家や車も頑張って働けば手に入るという、まだ目に見える物質的なものを頑張って働けば手に入れられうというそういうものを幸せと感じることができた時代だったと思う。
ただ菊田先生が描いた「幸せ」とはそういうことなのか、
カールはマルギットの幸福を願って、最終的にある決断をするのですが、彼がする決断は一種のマルギットの物質的幸福を優先したように捉えられるのでそういう価値観で書かれた台本なのかと思いきや、そうではないと思う。
今の世の中になってもこの台本を読んで「いいな」と思うのは、物質的なこととは違う、数値化できない幸せ、価値みたいなものが描かれているから、心が洗われる部分があるんだろうなと思います。
今の行き詰まった状況にリンクしているのではないかと、
むしろ今の時代にこそ、求められているような幸せとは何かが描かれているような、
55年も前の作品なのに、そう感じています。
見所について
最近ではテクノロジーが発達して映像や転換などで魅せる作品もありますが、
この作品は、人間のパワーと人の心で見せていた時代の作品ですので、
今回もそういうところを大事にしたいと思っています。
ですからこの作品は出演者の人間の力に頼っている作品です。