宝塚歌劇団花組公演。2023年の元旦から宝塚大劇場で始まる『うたかたの恋』と『ENCHANTEMENT -華麗なる香水-』。
ポスタービジュアルのあまりの美しさに驚愕しましたよね。
宝塚における名作と呼べる『うたかたの恋』は何度も再演されているので、あらすじをご存知の方も多いと思います。
主人公は、あのエリザベートの息子、ルドルフです。
『うたかたの恋』では、知り合った男爵令嬢のマリーと恋に落ちる物語ですが、これって史実なのでしょうか?
ミュージカル『エリザベート』のほうでのルドルフは、父親との政治思想の違いや母から大切にされなかった悲しみから、命を絶ってしまうという最期です。
では史実のルドルフって、一体どのような人生を送り、どのような最期を迎えたのでしょうか?
いわゆる「虐待」を受けて育った可哀想な幼少期
『エリザベート』の中でも、エリザベートが「体罰よ!」と皇帝フランツに訴える場面が出てきますが、それは事実だったようです。
具体的には、鞭打ち、冷水シャワー、過酷な運動など。
幼い子供に対して「教育」という大義名分を掲げて、虐待と呼べる体罰を続けます。
そのトラウマのせいでルドルフは神経が過敏で暴力的になり、成人しても心に闇を抱えたままになってしまいます。
その体罰を指示していたのが、祖母であるゾフィーというのがまた恐ろしいですよね…
「孫が可愛い」という感情はなく、「この帝国を支えるに相応しい人間を作り出さなくては」という執念を感じます。
また、この体罰をやめさせたのは母のエリザベートではありますが、それ以外にはエリザベートもルドルフに対して母親らしい愛情を注ぎませんでした。
身内から家族愛を注がれることなく育てば、誰だってまともな情緒をもった人間に育つはずがないですよね。
この時代のハプスブルク家の人びとがいかに異常であったか、ルドルフへの体罰だけでもよく分かります。
愛情の枯渇から女遊びに走った青年期
エリザベートからの訴えで体罰からは解放されたルドルフでしたが、新しくつけられた家庭教師はまた極端な自由主義者でした。
自由主義とは、「貴族は悪」とする一般階級の民衆が持っていた思想で、それを入口にしてルドルフは身分の怪しい一般階級の人間とお忍びでプライベートを過ごすようになります。
現代に例えて言うなら、お金持ちのお坊ちゃまが不良と出会って新しい価値観に目覚め、悪い遊びを覚えてしまう、といった感じでしょうか。
怪しい居酒屋や娼館などに出入りするようになり、「女遊び」も覚えます。
王族の女性と違って色っぽく奔放な女性たちはルドルフにとって、とても魅力的に映ったのでしょう。
また、大人から愛されずに育ってしまったゆえに「人から愛される」ことに飢えていたという背景もあったように思います。
たとえ一晩だけでも、誰かから求められたり愛を囁かれることで、満たされない気持ちをごまかしていたのではないでしょうか。
しかし、娼婦たちとの情事から性病をうつされ、それをまた妻にもうつし、妻が妊娠できない体になってしまうという悲劇も引き起こします。
ルドルフが最も熱を上げた相手は、ミッツィ・カスパルという娼婦でした。
そのミッツィも最期は梅毒で亡くなっているので、ルドルフが性病になるのも当然でしょう。
自殺?他殺?謎に包まれたマイヤーリンク事件
ミッツィとは、王宮の側近たちから大反対されながらも、仕事の視察旅行にも同伴させるなどしていたルドルフ。
しかし、ミッツィだけでは愛情の枯渇は改善しなかったのか、ルドルフは他にも大勢の女性と関係を持っていたそうです。
その中の一人に、『うたかたの恋』のヒロインであるマリー・ヴェッツェラ男爵令嬢がいました。
当時彼女は17歳、ルドルフは30歳。
大人の色気ムンムンのミッツィとはまた違った、初々しい魅力がたまらなかったのでしょうか。
当時からすれば既に大人扱いだった17歳かもしれませんが、まだ恋愛経験もほとんどない、たった17歳の少女です。
次期皇帝である、13歳も年上の大人の男であるルドルフにマリーはぞっこんになったようです。
そしてここからが『うたかたの恋』とは少し違う現実があります。
ルドルフのほうはやっぱり未熟な17歳の少女では満足できなかったのか、マイヤーリンクに行った時には既に恋心はあまり残っていなかったそうです。
実際、マイヤーリンクに行く前に「一緒に死んでほしい」とミッツィのほうに懇願していたようです。
しかし、ミッツィは「冗談じゃない!」と拒否、心中を持ちかけられたことを役人に報告もしています。
ミッツィにフラれたルドルフは、まさに「あなたと一緒なら、どこへでも!」と自分に言いなりのマリーを選び、ついに最期の日を迎えます。
ルドルフの死を、当時の国家は「心臓疾患のため」と発表しましたが、それはカトリック教会が自殺も不貞も禁止していたためと言われています。
皇帝の息子が愛人と自殺だなんて世間様に言えるか!という判断だったのでしょう。
しかし、現場の状況から考えて世論は「愛人と心中自殺」という見方になります。
そこからなんと94年後、今度はオーストリア=ハンガリー帝国の最後の皇后が「あれは他殺だった」と暴露します。
ルドルフの右手が切り落とされていたとか、部屋の中が荒らされていたとか、いろいろな新証言が出てきますが…所詮は94年前の話です。
「他殺説」も事実と断定できないままになります。
このまま迷宮入り…と思ったら!今度はかなり決定的な証拠が発見されます。
マリーが銀行に預けていた遺書が2015年に発見されます!
↑ 訳
「お母様/私のしたことをお許しください/私には愛を拒むことはできませんでした/殿下のご意志に従って、アランドの墓地で殿下の隣に埋葬していただきたいのです/私にとって生きるよりも死に至る方が幸せなのです」
この世紀の発見により、現在はやはり「心中自殺」であったという結論になっています。
太宰治もそうですが、どうして女性を道連れにしないと本懐を遂げられないのか…
本当は別の女性と一緒に心中したかったけど断られたから自分が選ばれた、という事実をマリーは知っていたのでしょうか。
『うたかたの恋』でのルドルフとマリーは心から愛し合っていますが、史実は悲しいものでした。
しかし、ルドルフがこのように自殺願望を持つ人間に成長してしまったのは決して彼のせいではないという背景を知ると、『うたかたの恋』も『エリザベート』もまた違った見え方になってきますよね。