ついに公演中止期間を経て無事千秋楽を迎えた御園座公演『王家に捧ぐ歌』。
新ビジュアルでの再々再演でした。
今までと違った魅力を感じた方は多いのではないでしょうか。
さて、今回は女性ならではの目線から共感したアムネリスから公演を振り返りたいと思います。
『王家に捧ぐ歌』は過去2回上演されています。
長年の宝塚ファンの方でしたら、過去に観劇された方もいると思います。
『王家に捧ぐ歌』は観る時の年齢で印象が大きく変わる作品であると今回観劇して思いました。
学生時代は悲劇のヒロイン・アイーダに共感しました。
王女であったにもかかわらず囚われの身になり最後は地下獄へ行く、いかにもかわいそうな“悲劇のヒロイン”に心をもっていかれました。
アムネリスはひどい!!と怒りさえ覚えました。
綺麗で美しい人は冷徹、怖い!とさえ思っていました。
しかし、今回大人になって観るとアムネリスに共感し、苦しくなるほどでした。
その理由はただの冷徹は人に見えなかったからです。
社会に出て働くと社会的地位・義務と女性としての幸せの狭間で悩む方も少なくないのではないでしょうか。
アムネリスにとってラメダスはずっと好きで将来の自分の夫になるべき存在であったにもかかわらず、父を裏切って殺された原因を作った相手。
一国の“ファラオ”となることを自ら決意し、その地位に立っていてはラメダスをそのまま生かしておくことはできない。
ただ、どこかで許しを請われたら許してあげたいぐらい好き。
好きな相手を自らの決断で殺すことがどれだけ残酷で、ファラオとしての思いと女性としての気持ちとの狭間で苦しい思いをしているのが痛いほど伝わってきました。
今までアムネリスを演じてきた檀れいさん、怜美うららさんは宝塚の中でも突出した美しい人でした。
その圧倒的は美しさと存在感で周りを圧倒し、なにも言わせない空気感。その部分が強調されてきたように思います。
今回アムネリスを演じた有紗瞳さん。
龍の宮物語での妖艶な玉姫の演技が印象に残っています。
目力が強いので、強めの女性を演じるとキリッとした表情と細やかな演技が忘れられません。
目じりをハネ上げて、キラキラと光る高貴なメイクに、有紗さんのお芝居で今までの“誰もがひれ伏したくなる美しさで有無を言わさぬ人”というアムネリスの印象を、その上に“人間らしさ”というか奥深さが加わったアムネリスに見えました。
ファラオとしての思いと女性としての気持ちとの狭間で苦しむ“人間らしさ”が際立っていました。
今回、新ビジュアルで現代的は要素が加わり、その中でもアムネリスは華やかさと圧倒的存在感というのを今までの黄金で彩られた重厚感のある華やかさではなく、衣裳もひとつひとつは繊細で、でも集まると綺麗に光る衣裳で全体的に明るい華やかさが目立っていました。
そんなところからもアムネリス像が変わったことを感じました。
また、セットもシンプルなため、より演技が際立っていました。
よく考えるとラメダスの衣裳も真っ白で、全体的にアムネリスがいる場面は舞台も明るい白目のライトがあたっており、エチオピアが出てくる場面は暗めでその対比が印象に残っています。
舞空瞳さん演じるアイーダは娘役トップという華やかさは一切封印して、土着的な地に足をつけた演技で、生命力あふれるアイーダというよりはとてもリアリティがあり現実的な考えを持ったアイーダに見えました。
それはエチオピアだけでの場面の家族に縁を切ると話す場面や声の出し方から感じました。
そして嫌みのない演技で、自分と、エチオピアと、エジプトと正面から向き合って、自分で考え生きていく強さが印象に残りました。
アムネリスから感じた新ビジュアル『王家に捧ぐ歌』。
アムネリスだけでなく、それには相反するアイーダの存在も大きければ大きいほど際立っているのだと思いました。
セットや衣裳の重厚感のある煌びやかさがなくなった分、ひとりひとりの演技、団体でのコーラスが光っている公演でした。