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なぜ明日海りおは、これほどの根強いファンを獲得したのか

宝塚歌劇を楽しもう

宝塚歌劇団花組のトップスター、明日海りお。先日本拠地宝塚大劇場での千秋楽を迎え、
いよいよ最後の東京大劇場へ。
彼女の退団が、11月に迫ってきた。

私にとっての彼女は、宝塚歌劇という素晴らしい世界があることを教えてくれた存在であり、初めて「ご贔屓」という、誰かを特別に好きになり、その人の魅力を深掘りすることで、より舞台を楽しめるのだということを経験させてくれた、とてもとても貴重な存在なのだ。

そんな彼女の退団は、私にとり、かなり特別なものとなることだろうと予想はしていた。そして今、予想以上の悲しみと寂しさに、戸惑う自分がいる。

9月末日、彼女の退団公演を、宝塚大劇場へ観に行った。

チケットにはプレミアがつき、当日券を手に入れるため、連日早朝から400人前後の人が、劇場前には並んでいた。

明日海りおは、どうしてこれほどまでに、根強いファンを獲得したのか。
実際に、彼女に魅了されてしまったいちファンとして、彼女の魅力を紐解く。

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明日海りおの魅力は「影」と「ギャップ」

明日海りおのどこに惹かれたか。

1つあげるとするならば、「影」を感じさせるところと答える。

彼女は、ただ佇んでいるだけでも、どこか影を感じさせる。

それでいて、その影が魅力にも思える。

普段の彼女を映す番組を見ていると、驚くほどに声が小さいのだ。

舞台上で魅せる、圧倒的な存在感。
その差があまりにも激しすぎる。

舞台と普段に差がある演者は、決して珍しいことではないだろう。

しかし、ここまでギャップがある演者は、そう多くはないのではないか。

小さいのは声だけではない、存在感も消えている。

街中でもし、彼女を見かけたら…気づかないかもしれない。

いや、それは言い過ぎた。流石に気づくだろう、おそらく…。

しかしながら、舞台で魅せる力強い役と、一歩舞台を離れた時の、彼女の存在感のギャップは、やはり大きい。

宝塚は、花、月、雪、星、宙と、全部で5つの組に分かれる。

1つの組に、何十人ものジェンヌたちが所属している。そこに、専科が加わる。

明日海りおは、宝塚の中でも1番歴史の長い、花組に所属。

チームとも言える集団の中にいる彼女を見ても、群れたり、無邪気にはしゃぐ様子が見られることは、とても希。「暗い」と一見見えてもしまうが、ストイックで有名な彼女だけあり、ちょっと近づき難いといった印象。

もしも(おそらく無いけれど)、私が花組生だったら…やはり、明日海りおには、そう簡単にお近付きになれそうにない。

独特なオーラを放ち、威圧ではなく、もはや異次元の存在に見える。

同じ人間ですか、と言いたくなるような、華奢な体に、鋭い瞳。

小さな声で話しているのかと思えば、いざ歌い出すと、役が乗り移ったかのように途端に豹変する。

そのギャップがまさに、彼女の最大の魅力だと感じる。

『エリザベート』で魅せた「存在感」

そんな彼女。トップ就任後初の宝塚大劇場お披露目公演は、『エリザベート』である。

エリザベートについて簡単に説明すると、オーストラリアはハンガリー帝国の皇后エリザベートの生涯を描いた、ウィーン発のミュージカル作品。

1992年の初演以来、世界中で公演されている、とても有名であり人気の高い作品である。

宝塚で初めて公演されたのは、1996年。当時の雪組トップスター、一路真輝のサヨナラ公演として、初演されたそう。

この、エリザベート。ミュージカル作品だけあり、歌の技術が求められることは絶対条件。

私自身、この舞台を直接観たことはない。というのも、チケットが発売されるやいなや、秒で売り切れてしまう、超超超!人気の高い演目なのだ。。。

「いつかは観たい!」そう思ってはいるけれど、気持ちだけでは…ねぇ。。。

おそらく、今後もずっと、チケット難確実であろうこと、間違いない。

明日海りおがエリザベートの舞台に立っていた頃、私は、宝塚の存在を知ってはいたけれど、正直、全く興味がなかった。

明日海りおに出会った時期は、この舞台のおおよそ2年後、『金色の砂漠』を観た頃である。

その舞台を観て、すっかり彼女のファンになってしまった私に、友人が貸してくれたのが、エリザベートだった。

明日海りおが演じたのは、トートという「死」の役。

人間ではなく、「死」という役と、彼女が持つ“影”のある独特な雰囲気とが、ものすごくマッチしていると感じたことを、よく覚えている。

歴代の宝塚エリザベート作品を観ても、やはり、明日海りおのトートは、ちょっと異質と言うか、「演じている」ではなく、「トートになっている」。

そこに、彼女自身の、悲しみや苦しみ、そして影が混在して、役のトートと交わり合い、“明日海りおのトート”として、1つの舞台が出来上がっている、そう観ていて感じた。

私自身、宝塚も、そしてエリザベートも、いくつも観たわけではないし、比べられるほどでもないかもしれない。とは言え、映画や音楽、舞台をいくつも観てきた人間として、感じるものは確実にあった。この役は、絶対彼女にぴったりだ。

忘れてならないのが、この大作を、デビュー作に持ってきた、宝塚歌劇団の存在。

「彼女ならできる」そう、宝塚歌劇団が判断したことになる。

やはりそれは、彼女が演者として高いレベルの持ち主であることを評されていたことを意味している。

「一番辛かったのは、組み替えした時」

なにかのインタビューで、「一番辛かったのは、花組へ組み替えした時」そう話していた彼女。

元いた月組を離れて新境地、花組への移動は、親しみある場所を離れる時の寂しい気持ちだけでなく、すでにピラミッドが完成されている場所へと足を踏み入れる、まるで恐怖のようなものも同時にあったはず。

当時の花組は、トップ男役、蘭寿とむを筆頭に、明日海りおの同期である、現雪組トップスター、望海風斗も在籍していた。

「このままいけば、いずれは望海風斗がトップに…」。実力派の、望海風斗。

しかし、明日海りおが花組へ移動し、しかも蘭寿とむに続く2番手のポストについたことで、望海風斗はもちろん、明日海りお自身も、心は複雑であったに違いない。

望海風斗は、トップ就任後のインタビューの中、「同期がトップになっていく様子を見ながら、内心焦っていた」と言っている。

突然、自分の組に同期が移動してきて、そして、その同期を支える立場になったら…。

そう簡単に、気持ちに整理はつけられないだろう。

様々な気持ちを抱えながらもぐっと堪え、目の前の現実と向き合うしかない。

しかし、辛いのは何も望海風斗だけではないのだ。

望海風斗と明日海りおは、宝塚音楽学校時代、同じ部屋過ごしていたらしい。
仲の良い同期。

それゆえ、このような残酷な状況を与えた宝塚歌劇団は、ちょっとばかし鬼だなぁ、と思ってしまう…。

「神は才能あるものにだけ試練をお与えになる」とも言うが…。
としても、後に望海風斗は雪組へ移動し、そして現在はトップとして高い人気を博している。

美しさの中に宿る儚さ

思えば、今回の明日海りお退団公演『A Fairy Tale -青い薔薇の精-』は、人間役ではなく「精霊」の役なのだ。

お披露目公演で演じたトートは「死」。

そして今回は「精霊」。どちらも人間ではない。

しかし、そのどこか人間離れした明日海りおの独特な雰囲気と、今回の精霊役は。これまたものすごく、やはりマッチしていた。

今回演じるのは、“エリュ”という、青い薔薇の精。

かつては白い薔薇の精だったエリュは、人間の女の子、シャーロットに恋をする。しかし、人間に恋をすることは、精霊界では掟破り。したがってエリュは、禁断の薔薇である青い薔薇の精にされ、孤独な世界へと封じ込まれてしまう…。

まるで、ファンタジーを連想させるこの舞台。

しかし、演出家の植田景子先生は、この作品に対し、「“時は無常に流れ、決して止まることはない”というテーマを主軸とした」と言っていらっしゃる。

退団する明日海りおに対して溢れる感情とを重ねたのだそう。

この舞台上、しきりに登場する台詞、「このまま時が止まれば良いのに」はまさに、退団する明日海りおに対し、ファンが抱く感情を代弁している。

宝塚大劇場で、明日海りおの舞台を観ることができなくなるのかと思うと、「このまま時が止まれば良いのに」という台詞が、より寂しい気持ちに拍車をかけ、涙が自然と溢れ出てくる。

彼女に出会い、宝塚の世界を知れて、そして、そんな彼女がこの場所から旅立つこと。時間は永遠ではないことを、無常にも知らされる。

しかしだからこそ、今というこの時間を大切にしなければならないのだということも、同時に教えられる。

美しさの中には、儚さも宿る。

明日海りおの退団は、11月24日。

その日、自分がどのような気持ちに出合うのか。今はまだ想像できずにいる。けれど、時が止まることは決してない。悔いが残らぬよう、彼女を送り出したい。

ライター:胡麻シオン